約 309,784 件
https://w.atwiki.jp/758transport/pages/23.html
選択経路 起点駅 路線 乗換駅 路線 乗換駅 路線 乗換駅 路線 終点駅 経路 藤が丘 東山線 今池 桜通線 名古屋 東山線 --- --- 高畑 距離(km) 8.9 5.4 6.6 --- 経路反転 合計 20.9km 5区 利用可能駅 東山線 名城線 名港線 鶴舞線 桜通線 上飯田線 高畑 金山 金山 上小田井 中村区役所 上飯田 八田 東別院 日比野 庄内緑地公園 名古屋 平安通 岩塚 上前津 六番町 庄内通 国際センター 中村公園 矢場町 東海通 浄心 丸の内 中村日赤 栄 港区役所 浅間町 久屋大通 本陣 久屋大通 築地口 丸の内 高岳 亀島 市役所 名古屋港 伏見 車道 名古屋 名城公園 大須観音 今池 伏見 黒川 上前津 吹上 栄 志賀本通 鶴舞 御器所 新栄町 平安通 荒畑 桜山 千種 大曽根 御器所 瑞穂区役所 今池 ナゴヤドーム前矢田 川名 瑞穂運動場西 池下 砂田橋 いりなか 新瑞橋 覚王山 茶屋ヶ坂 八事 桜本町 本山 自由ヶ丘 塩釜口 鶴里 東山公園 本山 植田 野並 星ヶ丘 名古屋大学 原 鳴子北 一社 八事日赤 平針 相生山 上社 八事 赤池 神沢 本郷 総合リハビリセンター 徳重 藤が丘 瑞穂運動場東 新瑞橋 妙音通 堀田 伝馬町 神宮西 西高蔵
https://w.atwiki.jp/758transport/pages/20.html
選択経路 起点駅 路線 乗換駅 路線 乗換駅 路線 乗換駅 路線 終点駅 経路 高畑 東山線 名古屋 桜通線 今池 東山線 --- --- 藤が丘 距離(km) 6.6 5.4 8.9 --- 経路反転 合計 20.9km 5区 利用可能駅 東山線 名城線 名港線 鶴舞線 桜通線 上飯田線 高畑 金山 金山 上小田井 中村区役所 上飯田 八田 東別院 日比野 庄内緑地公園 名古屋 平安通 岩塚 上前津 六番町 庄内通 国際センター 中村公園 矢場町 東海通 浄心 丸の内 中村日赤 栄 港区役所 浅間町 久屋大通 本陣 久屋大通 築地口 丸の内 高岳 亀島 市役所 名古屋港 伏見 車道 名古屋 名城公園 大須観音 今池 伏見 黒川 上前津 吹上 栄 志賀本通 鶴舞 御器所 新栄町 平安通 荒畑 桜山 千種 大曽根 御器所 瑞穂区役所 今池 ナゴヤドーム前矢田 川名 瑞穂運動場西 池下 砂田橋 いりなか 新瑞橋 覚王山 茶屋ヶ坂 八事 桜本町 本山 自由ヶ丘 塩釜口 鶴里 東山公園 本山 植田 野並 星ヶ丘 名古屋大学 原 鳴子北 一社 八事日赤 平針 相生山 上社 八事 赤池 神沢 本郷 総合リハビリセンター 徳重 藤が丘 瑞穂運動場東 新瑞橋 妙音通 堀田 伝馬町 神宮西 西高蔵
https://w.atwiki.jp/famiwiimatome/pages/31.html
※ファミ通DS+Wii編集部に届くわけじゃありません 順位 選択肢 得票数 得票率 投票 1 ひちゃこ 531 (31%) 2 マリコ 261 (15%) 3 山口ひなな 140 (8%) 4 イーブイ松本 101 (6%) 5 加藤ノブキ 99 (6%) 6 ひかわ博一 81 (5%) 7 美水かがみ 52 (3%) 8 ルーツ 50 (3%) 9 ヤス 46 (3%) 10 抹茶オレ 41 (2%) 11 姫野かげまる 39 (2%) 12 かきふらい 34 (2%) 13 いとうのいぢ 32 (2%) 14 菊野郎 32 (2%) 15 やましたたかひろ 20 (1%) 16 トモセシュンサク 19 (1%) 17 七尾奈留 19 (1%) 18 南条アキマサ 19 (1%) 19 うずまき 18 (1%) 20 コーポ 17 (1%) 21 DJ 16 (1%) 22 べっかんこう 13 (1%) 23 ツガノガク 12 (1%) 24 駒都えーじ 8 (0%) 25 姫川明 7 (0%) 26 横内なおき 6 (0%) 27 カナヘイ 4 (0%) 28 かんざきひろ 3 (0%) 29 ますこまさとし 2 (0%) 30 アホな抹茶オレ 2 (0%) 31 効果音 2 (0%) 32 山本サトシ 2 (0%) 33 桜玉吉 2 (0%) 34 空知 英秋 2 (0%) 35 かたぎりあつこ 1 (0%) 36 すしお 1 (0%) 37 はやみ千晶 1 (0%) 38 横井三歩 1 (0%) その他 投票総数 1736 コメントもどうぞ 名前
https://w.atwiki.jp/sukige/pages/149.html
す~ぱ~なぞぷよ通 ルルーの鉄腕繁盛記 配信された人 コーラ主
https://w.atwiki.jp/shufflejapan/pages/26.html
上記はメルボルンシャッフルの日本語版チュートリアルである。 この項目では、参考資料を交えて文章にて基本ステップの概要を説明する。 メルボルンシャッフルのステップは ランニングマン T-ステップ スピン&キック スライド で構成される。 その他に、スタイルに合わせてステップの形を変えていったり手の動きや技のコンボなどを作っていき、各スタイルを作っていく。 ただ、どんなスタイルを踊りたくても、丁寧なランニングマンとT-ステップの徹底が必要である。 言葉で説明を聞くより、体を動かすダンスである以上、実際に見たほうがわかりやすいかと思うので、上記のチュートリアルはぜひ参考にしていただきたい。
https://w.atwiki.jp/tattalabo/pages/30.html
2011年8月10日 19 02 たったが来なければ平和なんで。当時は一生放置して下さいとまでは言えなかった。 まだ被害者であって被疑者じゃないと思い込まされてた所だったし。 そしてまたピグ。二の次はピグしかない悲しい男。それがたった。 ばんわ、俺やることの優先順位が微妙でピグは制限時間があるため 2ちゃんまだ放置しておいて大丈夫? でていく必要があったらいくが おおよそ経過なんか軽くまとめて書いてもらえるといいな 戦うには相当意識がしっかりしてないとおかしくなるし昨日はエネルギーがなかったし 相当疲れていた ピグはだらけててもなんとかなるが、あっちはそういかないし 俺には俺のやり方がある。過干渉なたった。 一応ざっと読んだからおいおい返事はしていくが 自治スレの嵐スレだけはくれぐれも嵐にレス、誘導以外の書き込みやめてくれな? 嵐がレスしたらまたするでは悪循環 そのことについて質雑でレスしておけばいいし 片方は違う事分かるだろ。俺はモペラ使う時は2ちゃんやってない時だけ。 せいぜい使ってもROMだけで充分。リアル相談と合致する時に検索用に使うか、車内からネットする時位。 2IDは俺には有り得ない。ま、1つ目が俺なんだけどな。 これは斉藤さん?引用レスで1つずつ答えよろしく 145 返信:心得をよく読みましょう[sage] 投稿日:2011/08/09(火) 03 54 16.19 ID VQFxBPmg どんなことを言われようが、「質問と雑談」でない「議論」はこちらで行う 147 名前:心得をよく読みましょう[] 投稿日:2011/08/09(火) 06 31 08.87 ID Muym3LhK ID QGXny0Xyは、レス内に中傷文句が多すぎて そりゃ来たばかりの板で勧誘されて洗脳されてりゃ、事情なんて飲み込めてないに等しい。 斉藤さんは基本的に以下の実態を把握してないと思う 外野でもわかってる人はわかってる これも問題視してるけど、1つ目は俺かな。今更だけど。 何もかも俺に色々おしつけるたった。この後しばらくすると出てきます。 >43 :心得をよく読みましょう:2011/07/31(日) 23 13 16.34 ID 3KRkZFqp >この板に自治は不要なのだよ >それくらい問題がない >わざわざ問題を作り出す輩達が来てこうやって狂ってるのだよ >36 :心得をよく読みましょう:2011/07/31(日) 04 49 02.01 ID ogbdfMSZ >その要望って「批判要望板」の自治と関係ないじゃん >テンプレに書いておけば使わない自治スレ立てまくりってのもアレだがな >その発端がさらにアレ過ぎだけど 勿論、要望板から抜けようと考えてた訳だが。たったは俺を使わない方が結果論だけど良かったんだろう。 今回、致命的なミスでメールばらしやって、俺や他に人から散々叩かれているもんな。 それとこのレスはなに? 161 名前:心得をよく読みましょう[sage] 投稿日:2011/08/10(水) 01 13 44.59 ID YRFcuy/7 156 俺、浮気性だから他の板に行く事にしたんだ。 悪いねw 例の長文コピペ。メールにまでコッピペしてくるたった。 もう別の意味で頭痛が痛いです、たった。 以下のこといってるのは嵐連中だ メンヘラというのは自殺未遂経験あり、自演ショー大好き嘘大好き猫やニートで対人恐怖っぽいな?空犬という 俺がいったことを相手がいうようになるというのはいつもの手 メンヘラしかり、ホモしかり、状況書き込みから猫を女だといえば俺が女だといいまくる 特に猫には異常な粘着と手紙もらった嘘などでほかの奴との関係悪化を もくろまれたり今はやめてるがID複数使って自作自演ショーやったりしてる 今受験生だから多忙で嵐加担しなくなっただけだが嵐仲間だよ ただあの猫というキャラを死守したいがために絶対にあのキャラでは かわいこぶりっこする ヒスは男女関係ないぞ。そんな事もしらんのか、たったは。 それと怒らないからきくが ヒステリーとか、時々くる、女っていってるのは俺のことじゃないのか? 嵐がいろいろな噂流すからな 猫は質雑でヒステリー起こしてもないし毎日きてるからときどきじゃないんだよ 嵐連中の真にうけないで必ず俺に確認とってほしい かなり悪質な嘘や噂を何年も流されて信じ込まれたこともある そのことで扇動がすごかった いまだ嘘の話を信じて俺を恨んでるのもいるくらい たった、君の方が洗脳としてはレベル高かったよ。悪い意味で。 人に頼まず自分でやれ。 とりあえず、今後ノアの嵐にレスするなら必ず「質雑以外の返答を 行った場合、逃げ反論なしとみる」といって 組長の俺に反論しないのは、組長の言ってることが正しいからじゃないかとか 流れつけてくれるといいんだがな 更に追加して用事をたのむたった。いい加減にしろよ・・・モノには限度ってものがあるんだよ。 削除依頼だがどうしても斉藤さんの手が必要なんだ 代理ということならなんとかならないか? これまでスレ削除もレス削除も数年ほど継続して依頼してやっと処理してもらえたこともある 削除人の判断や理解力で違う だから斉藤さんの考えも間違いではないものの あきらめて依頼しなくなったらそれで終わりなんだよ 考えておくからよろしくお願いします 以前は代行使っていたがほとんど荒らし連中に包囲網されてしまって 俺の依頼がされなくなってしまった 俺は報連相は忘れないからな。それを怠ったたったは致命的なミスをした。 今頃イライラしてどうしようも無いんだろうな。 まれにラッキーなこともあるがほとんどが無理状態 報告ありがとな 15通目へ/17通目へ
https://w.atwiki.jp/tsugan/pages/123.html
資治通鑑巻第二十 漢紀十二 世孝武皇帝中之下 元狩五年(癸亥、前一一八) 1春,三月,甲午,丞相李蔡坐盜孝景園,堧地,葬其中,當下吏,自殺。 1. 2罷三銖錢,更鑄五銖錢。於是民多盜鑄錢,楚地尤甚。 上以爲淮陽,楚地之郊,乃召拜汲黯爲淮陽太守。黯伏謝不受印,詔數強予,然後奉詔。黯爲上泣曰:「臣自以爲填溝壑,不復見陛下,不意陛下復收用之。臣常有狗馬病,力不能任郡事。臣願爲中郎。出入禁闥,補過拾遺,臣之願也。」上曰:「君薄淮陽邪?吾今召君矣,顧淮陽吏民不相得,吾徒得君之重,臥而治之。」 黯既辭行,過大行李息,曰:「黯棄逐居郡,不得與朝廷議矣。御史大夫湯,智足以拒諫,詐足以飾非,務巧佞之語,辯數之辭,非肯正爲天下言,專阿主意。主意所不欲,因而毀之;主意所欲,因而譽之。好興事,舞文法,内懷詐以御主心,外挾賊吏以爲威重。公列九卿,不早言之,公與之倶受其戮矣。」息畏湯,終不敢言;及湯敗,上抵息罪。使黯以諸侯相秩居淮陽,十歳而卒。 2. 3詔徙姦猾吏民於邊。 3. 4夏,四月,乙卯,以太子少傅武強侯莊靑翟爲丞相。 4. 5天子病鼎湖甚。巫醫無所不致,不愈。游水髮根言上郡有巫,病而鬼神下之。上召置,祠之甘泉,及病,使人問神君,神君言曰:「天子無憂病;病少愈,強與我會甘泉。」於是病癒,遂起幸甘泉,病良已,置酒壽宮。神君非可得見,聞其言,言與人音等,時去時來,來則風肅然,居室帷中。神君所言,上使人受書其言,命之曰「畫法」。其所語,世俗之所知也,無絶殊者,而天子心獨喜;其事秘,世莫知也。 時上卒起,幸甘泉,過右内史界中,道多不治,上怒曰:「義縱以我爲不復行此道乎!」銜之。 5. 六年(甲子、前一一七) 1冬,十月,雨水,無冰。 1. 2上既下緡錢令而尊卜式,百姓終莫分財佐縣官,於是楊可告緡錢縱矣。義縱以爲此亂民,部吏捕其爲可使者。天子以縱爲廢格沮事,棄縱市。 2. 3郎中令李敢,怨大將軍之恨其父,乃撃傷大將軍,大將軍匿諱之。居無何,敢從上雍,至甘泉宮獵,票騎將軍去病射殺敢。去病時方貴幸,上爲諱,雲鹿觸殺之。 3. 4夏,四月,乙巳,廟立皇子閎爲齊王,旦爲燕王,胥爲廣陵王,初作誥策。 4. 5自造白金、五銖錢後,吏民之坐盜鑄金錢死者數十萬人,其不發覺者不可勝計,天下大抵無慮皆鑄金錢矣。犯者衆,吏不能盡誅。 5. 6六月,詔遣博士褚大、徐偃等六人分循郡國,舉兼併之徒及守、相、爲吏有罪者。 6. 7秋,九月,冠軍景桓侯霍去病薨。天子甚悼之,爲塚,像祁連山。 初,霍仲孺吏畢歸家,娶婦,生子光。去病既壯大,乃自知父爲霍仲孺。會爲票騎將軍,撃匈奴,道出河東,遣吏迎仲孺而見之,大爲買田宅奴婢而去;及還,因將光西至長安,任以爲郎,稍遷至奉車都尉、光祿大夫。 7. 8是歳,大農令顏誅。 初,異以廉直,稍遷至九卿。上與張湯既造白鹿皮幣,問異,異曰:「今王侯朝賀以蒼璧,直數千,而以皮薦反四十萬,本末不相稱。」天子不説。張湯又與異有郤,及人有告異以它事,下張湯治異。異與客語初令下有不便者,異不應,微反脣。湯奏當:「異九卿,見令不便,不入言而腹誹,論死。」自是之後,有腹誹之法比,而公卿大夫多諂諛取容矣。 8. 元鼎元年(乙丑、前一一六) 1夏,五月,赦天下。 1. 2濟東王彭離驕悍,昏暮,與其奴、亡命少年數十人行剽殺人,取財物以爲好,所殺發覺者百餘人,從廢,徙上庸。 2. 二年(丙寅、前一一五) 1冬,十一月,張湯有罪自殺。 初,御史中丞李文,與湯有郤。湯所厚吏魯謁居陰使人上變告文姦事,事下湯治,論殺之。湯心知謁居爲之,上問:「變事蹤跡安起?」湯佯驚曰:「此殆文故人怨之。」謁居病,湯親爲之摩足。趙王素怨湯,上書告:「湯大臣,乃與吏摩足,疑與爲大姦。」事下廷尉。謁居病死,事連其弟。弟繋導官,湯亦治他囚導官,見謁居弟,欲陰爲之,而佯不省。謁居弟弗知,怨湯,使人上書,告湯與謁居謀共變告李文。事下減宣,宣嘗與湯有郤,及得此事,窮竟其事,未奏也。會人有盜發孝文園瘞錢,丞相靑翟朝,與湯約倶謝,至前,湯獨不謝。上使御史案丞相,湯欲致其文「丞相見知」,丞相患之。丞相長史硃買臣、王朝、邊通,皆故九卿、二千石,仕宦絶在湯前。湯數行丞相事,知三長史素貴,故陵折,丞史遇之,三長史皆怨恨,欲死之。乃與丞相謀,使吏捕案賈人田信等,曰:「湯且欲奏請,信輒先知之,居物致富,與湯分之。」事辭頗聞,上問湯曰:「吾所爲,賈人輒先知之,益居其物,是類有以吾謀告之者。」湯不謝,又佯驚曰:「固宜有。」減宣亦奏謁居等事。天子以湯懷詐面欺,使趙禹切責湯,湯乃爲書謝,因曰:「陷臣者,三長史也。」遂自殺。湯既死,家産直不過五百金。昆弟諸子欲厚葬湯,湯母曰:「湯爲天子大臣,被汚惡言而死,何厚葬乎!」載以牛車,有棺無槨。天子聞之,乃盡按誅三長史。十二月,壬辰,丞相靑翟下獄,自殺。 1. 2春,起柏梁台。作承露盤,高二十丈,大七圍,以銅爲之。上有仙人掌,以承露,和玉屑飲之,雲可以長生。宮室之修,自此日盛。 2. 3二月,以太子太傅趙周爲丞相。 3. 4三月,辛亥,以太子太傅石慶爲御史大夫。 4. 5大雨雪。 5. 6夏,大水,關東餓死者以千數。 6. 7是歳,孔人堇爲大農令,而桑弘羊爲大農中丞,稍置均輸,以通貨物。 7. 8白金稍賤,民不寶用,竟廢之。於是悉禁郡、國無鑄錢,專令上林三官鑄錢,令天下非三官錢不得行。而民之鑄錢益少,計其費不能相當。惟眞工、大姦乃盜爲之。 8. 9渾邪王既降漢,漢兵撃逐匈奴於幕北,自鹽澤以東空無匈奴,西域道可通。於是張騫建言:「烏孫王昆莫本爲匈奴臣,後兵稍強,不肯復朝事匈奴,匈奴攻不勝而遠之。今單于新困於漢,而故渾邪地空無人,蠻夷俗戀故地,又貪漢財物,今誠以此時厚幣賂烏孫,招以益東,居故渾邪之地,與漢結昆弟,其勢宜聽,聽則是斷匈奴右臂也。既連烏孫,自其西大夏之屬皆可招來而爲外臣。」天子以爲然,拜騫爲中郎將,將三百人,馬各二匹,牛羊以萬數,繼金幣帛直數千巨萬;多持節副使,道可便,遣之他旁國。 騫既至烏孫,昆莫見騫,禮節甚倨。騫諭指曰:「烏孫能東居故地,則漢遣公主爲夫人,結爲兄弟,共距匈奴,匈奴不足破也。」烏孫自以遠漢,未知其大小;素服屬匈奴日久,且又近之,其大臣皆畏匈奴,不欲移徙。騫留久之,不能得其要領,因分遣副使使大宛、康居、大月氏、大夏、安息、身毒、于闐及諸旁國,烏孫發譯道送騫還,使數十人,馬數十匹,隨騫報謝,因令窺漢大小。是歳,騫還,到,拜爲大行。後歳餘,騫所遣使通大夏之屬者,皆頗與其人倶來,於是西域始通於漢矣。 西域凡三十六國,南北有大山,中央有河,東西六千餘里,南北千餘里,東則接漢玉門、陽關,西則限以蔥嶺。河有兩源,一出蔥嶺,一出于闐,合流東注鹽澤。鹽澤去玉門、陽關三百餘里。自玉門、陽關出西域有兩道:從鄯善傍南山北,循河西行至莎車,爲南道;南道西踰蔥嶺,則出大月氏、安息。自車師前王廷隨北山循河西行至疏勒,爲北道;北道西踰蔥嶺,則出大宛、康居、奄蔡焉。故皆役屬匈奴,匈奴西邊日逐王,置僮僕都尉,使領西域,常居焉耆、危須、尉黎間,賦税諸國,取富給焉。 烏孫王既不肯東還,漢乃於渾邪王故地置酒泉郡,稍發徙民以充實之;後又分置武威郡,以絶匈奴與羌通之道。 天子得宛汗血馬,愛之,名曰「天馬」。使者相望於道以求之。諸使外國,一輩大者數百,少者百餘人,人所繼操大放博望侯時,其後益習而衰少焉。漢率一歳中使多者十餘,少者五六輩;遠者八九歳,近者數歳而反。 9. 三年(丁卯、前一一四) 1冬,徙函谷關於新安。 1. 2春,正月,戊子,陽陵園火。 2. 3夏,四月,雨雹。 3. 4關東郡、國四十餘饑,人相食。 4. 5常山憲王舜薨,子勃嗣,坐憲王病不侍疾,及居喪無禮廢,徙房陵。後月餘,天子更封憲王子平爲眞定王,以常山爲郡,於是五嶽皆在天子之邦矣。 5. 6徙代王義爲清河王。 6. 7是歳,匈奴伊稚斜單于死,子烏維單于立。 7. 四年(戊辰、前一一三) 1冬,十月,上行幸雍,祠五畤。詔曰:「今上帝,朕親郊,而后土無祀,則禮不答也,其令有司議。」立后土祠於澤中圜丘。上遂自夏陽東幸汾陰。是時,天子始巡郡、國。河東守不意行至,不辦,自殺。十一月,甲子,立后土祠於汾陰脽上,上親望拜,如上帝禮,禮畢,行幸滎陽,還,至洛陽,封周後姫嘉爲周子南君。 1. 2春,二月,中山靖王勝薨。 2. 3樂成侯丁義薦方士欒大,雲與文成將軍同師。上方悔誅文成,得欒大,大説。大先事膠東康王,爲人長美言,多方略,而敢爲大言,處之不疑。大言曰:「臣常往來海中,見安期、羨門之屬,顧以臣爲賤,不信臣;又以爲康王諸侯耳,不足與方。臣之師曰:『黄金可成而河決可塞,不死之藥可得,仙人可致也。』然臣恐效文成,則方士皆掩口,惡敢言方哉!」上曰:「文成食馬肝死耳。子誠能修其方,我何愛乎!」大曰:「臣師非有求人,人者求之。陛下必欲致之,則貴其使者,令爲親屬,以客禮待之,乃可使通言於神人。」於是上使驗小方,斗旗,旗自相觸撃。是時,上方憂河決而黄金不就,乃拜大爲五利將軍,又拜爲天士將軍,地士將軍,大通將軍。夏,四月,乙巳,封大爲樂通侯,食邑二千戸,賜甲第,僮千人,乘輿斥車馬、帷帳、器物以充其家,又以衞長公主妻之,繼金十萬斤,天子親如五利之第,使者存問共給,相屬於道。自太主、將、相以下,皆置酒其家,獻遺之。天子又刻玉印曰「天道將軍」,使使衣羽衣,夜立白茅上;五利將軍亦衣羽衣,立白茅上,受印,以示不臣。大見數月,佩六印,貴震天下。於是海上燕、齊之間,莫不扼腕自言有禁方、能神仙矣。 3. 4六月,汾陰巫錦得大鼎於魏脽后土營旁,河東太守以聞。天子使驗問,巫得鼎無姦詐,乃以禮祠,迎鼎至甘泉,從上行,薦之宗廟及上帝,藏於甘泉宮,羣臣皆上壽賀。 4. 5秋,立常山憲王子商爲泗水王。 5. 6初,條侯周亞夫爲丞相,趙禹爲丞相史,府中皆稱其廉平,然亞夫弗任,曰:「極知禹無害,然文深,不可以居大府。」及禹爲少府,比九卿爲酷急;至晩節,吏務爲嚴峻,而禹更名寬平。 中尉尹齊素以敢斬伐著名,及爲中尉,吏民益雕敝。是歳,齊坐不勝任抵罪。上乃復以王温舒爲中尉,趙禹爲廷尉。後四年,禹以老,貶爲燕相。 是時吏治以慘刻相尚,獨左内史兒寬,勸農業,緩刑罰,理獄訟,務在得人心;擇用仁厚士,推情與下,不求名聲,吏民大信愛之;收租税時,裁闊狹,與民相假貸,以故租多不入。後有軍發,左内史以負租課殿,當免;民聞當免,皆恐失之,大家牛車、小家擔負輸租,繈屬不絶,課更以最。上由此愈奇寬。 6. 7初,南越文王遣其子嬰齊入宿衞,在長安取邯鄲樛氏女,生子興。文王薨,嬰齊立,乃藏其先武帝璽,上書請立樛氏女爲後,興爲嗣。漢數使使者風諭嬰齊入朝。嬰齊尚樂擅殺生自恣,懼入見要,用漢法比内諸侯,固稱病,遂不入見。嬰齊薨,謚曰明王。太子興代立,其母爲太后。 太后自未爲嬰齊姫時,嘗與霸陵人安國少季通。是歳,上使安國少季往諭王、王太后以入朝,比内諸侯,令辯士諫大夫終軍等宣其辭,勇士魏臣等輔其決,衞尉路博德將兵屯桂陽待使者。南越王年少,太后中國人;安國少季往,復與私通,國人頗知之,多不附太后。太后恐亂起,亦欲倚漢威,數勸王及羣臣求内屬;即因使者上書,請比内諸侯,三歳一朝,除邊關。於是天子許之,賜其丞相呂嘉銀印及内史、中尉、太傅印,餘得自置;除其故黥、劓刑,用漢法,比内諸侯。使者皆留,填撫之。 7. 8上行幸雍,且郊,或曰:「五帝,泰一之佐也。宜立泰一,而上親郊。」上疑未定。齊人公孫卿曰:「今年得寶鼎,其冬辛巳朔旦冬至,與黄帝時等。」卿有札書曰:「黄帝得寶鼎,是歳己酉朔旦冬至,凡三百八十年,黄帝仙登於天。」因嬖人奏之。上大悅,召問,卿對曰:「受此書申公,申公曰:『漢興復當黄帝之時,漢之聖者在高祖之孫且曾孫也。寶鼎出而與神通,黄帝接萬靈明庭,明庭者甘泉也。黄帝采首山銅,鑄鼎於荊山下,鼎既成,有龍垂鬍髯下迎黄帝,黄帝上騎龍,與羣臣後宮七十餘人倶登天。』」於是天子曰:「嗟乎!誠得如黄帝,吾視去妻子如脱屣耳!」拜卿爲郎,使東候神於太室。 8. 五年(己巳、前一一二) 1冬,十月,上祠五畤於雍,遂踰隴,西登崆峒。隴西守以行往卒,天子從官不得食,惶恐,自殺。於是上北出蕭關,從數萬騎獵新秦中,以勒邊兵而歸。新秦中或千里無亭繳,於是誅北地太守以下。上又幸甘泉,立泰一祠壇,所用祠具如雍一畤而有加焉。五帝壇環居其下四方地,爲醊食羣神從者及北斗雲。十一月,辛巳朔,冬至,昧爽,天子始郊拜泰一,朝朝日,夕夕月則揖。其祠,列火滿壇,壇旁亨炊具。有司云:「祠上有光。」又云:「晝有黄氣上屬天。」太史令談、祠官寬舒等請三歳天子一郊見,詔從之。 1. 2南越王、王太后飭治行裝,重繼爲入朝具。其相呂嘉,年長矣,相三王,宗旅仕宦爲長吏者七十餘人,男盡尚王女,女盡嫁王子弟、宗室,及蒼梧秦王有連,其居國中甚重,得衆心愈於王。王之上書,數諫止王,王弗聽;有畔心,數稱病,不見漢使者。使者皆注意嘉,勢未能誅。王、王太后亦恐嘉等先事發,欲介漢使者權,謀誅嘉等,乃置酒請使者,大臣皆侍坐飲。嘉弟爲將,將卒居宮外。酒行,太后謂嘉曰:「南越内屬,國之利也;而相君苦不便者,何也?」以激怒使者,使者狐疑相杖,遂莫敢發。嘉見耳目非是,即起而出。太后怒,欲鏦嘉以矛,王止太后。嘉遂出,介其弟兵就捨,稱病,不肯見王及使者,陰與大臣謀作亂。王素無意誅嘉,嘉知之,以故數月不發。 天子聞嘉不聽命,王、王太后孤弱不能制,使者怯無決;又以爲王、王太后已附漢,獨呂嘉爲亂,不足以興兵,欲使莊參以二千人往使。參曰:「以好往,數人足矣;以武往,二千人無足以爲也。」辭不可,天子罷參。郟壯士故濟北相韓千秋奮曰:「以區區之越,又有王、王太后應,獨相呂嘉爲害,願得勇士三百人,必斬嘉以報。」於是天子遣千秋與王太后弟樛樂將二千人往,入越境。呂嘉等乃遂反,下令國中曰:「王年少。太后,中國人也,又與使者亂,專欲内屬,盡持先王寶器入獻天子以自媚;多從人行,至長安,虜賣以爲僮僕;取自脱一時之利,無顧趙氏社稷、爲萬世慮計之意。」乃與其弟將卒攻殺王、王太后及漢使者,遣人告蒼梧秦王及其諸郡縣,立明王長男越妻子術陽侯建德爲王。而韓千秋兵入,破數小邑。其後越開直道給食,未至番禺四十里,越以兵撃千秋等,遂滅之;使人函封漢使者節置塞上,好爲謾辭謝罪,發兵守要害處。 春,三月,壬午,天子聞南越反,曰:「韓千秋雖無功,亦軍鋒之冠,封其子延年爲成安侯;樛樂姊爲王太后,首願屬漢,封其子廣德爲龍亢侯。」 2. 3夏,四月,赦天下。 3. 4丁丑晦,日有食之。 4. 5秋,遣伏波將軍路博德出桂陽,下湟水;樓船將軍楊僕出豫章,下湞水;歸義越侯嚴爲戈船將軍,出零陵,下離水;甲爲下瀨將軍,下蒼梧;皆將罪人,江、淮以財樓船十萬人。越馳義侯遺別將巴、蜀罪人,發夜郎兵,下牂柯江,咸會番禺。 齊相卜式上書,請父子與齊習船者往死南越。天子下詔褒美式,賜爵關内侯,金六十斤,田十頃,佈告天下;天下莫應。是時列侯以百數,皆莫求從軍撃越。會九月嘗酎,祭宗廟,列侯以令獻金助祭。少府省金,金有輕及色惡者,上皆令劾以不敬,奪爵者百六人。辛巳,丞相趙周坐知列侯酎金輕,下獄,自殺。 5. 6丙申,以御史大夫石慶爲丞相,封牧丘侯。時國家多事,桑弘羊等致利,王温舒之屬峻法,而兒寬等推文學,皆爲九卿,更進用事。事不關決於丞相,丞相慶醇謹而已。 6. 7五利將軍裝治行,東入海求其師。既而不敢入海,之太山祠。上使人隨驗,實無所見。五利妄言見其師,其方盡多不售,坐誣罔,腰斬;樂成侯亦棄市。 7. 8西羌衆十萬人反,與匈奴通使,攻故安,圍□包罕。匈奴入五原,殺太守。 8. 六年(庚午、前一一一) 1冬,發卒十萬人,遣將軍李息、郎中令徐自爲征西羌,平之。 1. 2樓船將軍楊僕入越地,先陷尋峽,破石門,挫越鋒,以數萬人待伏波將軍路博德至倶進,樓船居前,至番禺。南越王建德、相呂嘉城守。樓船居東南面,伏波居西北面。會暮,樓船攻敗越人,縱火燒城。伏波爲營,遣使者招降者,賜印綬,復縱令相招。樓船力攻燒敵,驅而入伏波營中。黎旦,城中皆降。建德、嘉已夜亡入海,伏波遣人追之。校尉司馬蘇弘得建德,越郎都稽得嘉。戈船、下瀨將軍兵及馳義侯所發夜郎兵未下,南越已平矣。遂以其地爲南海、蒼梧、鬱林、合浦、交趾、九眞、日南、珠崖、儋耳九郡。師還,上益封伏波;封樓船爲將梁侯,蘇弘爲海常侯,都稽爲臨蔡侯,及越降將蒼梧王趙光等四人皆爲侯。 2. 3公孫卿候神河南,言見仙人跡緱氏城上。春,天子親幸緱氏城視跡,問卿:「得毋效文成、五利乎?」卿曰:「仙者非有求人主,人主者求之。其道非寬假,神不來。言神事如迂誕,積以歳月,乃可致也。」上信之。於是郡、國各除道,繕治宮觀、名山、神祠以望幸焉。 3. 4賽南越,祠泰一、后土,始用樂舞。 4. 5馳義侯發南夷兵,欲以撃南越。且蘭君恐遠行旁國虜其老弱,乃與其衆反,殺使者及犍爲太守。漢乃發巴、蜀罪人當撃南越者八校尉,遣中郎將郭昌、衞廣將而撃之,誅且蘭及邛君、莋侯,遂平南夷爲牂柯郡。夜郎侯始倚南越,南越已滅,夜郎遂入朝,上以爲朗王。冉駹皆振恐,清臣置吏,乃以邛都爲越巂郡,莋都爲沈黎郡,冉駹爲汶山郡,廣漢西白馬爲武都郡。 5. 6初,東越王餘善上書,請以卒八千人從樓船撃呂嘉;兵至掲揚,以海風波爲解,不行,持兩端,陰使南越。及漢破番禺,不至。楊僕上書願便引兵撃東越;上以士卒勞倦,不許,令諸校屯豫章、梅嶺以待命。餘善聞樓船請誅之,漢兵臨境,乃遂反,發兵距漢道,號將軍騶力等爲呑漢將軍,入白沙、武林、梅嶺,殺漢三校尉。是時,漢使大農張成、故山州侯齒將屯,弗敢撃,卻就便處,皆坐畏懦誅。餘善自稱武帝。 上欲復使楊僕將,爲其伐前勞,以書敕責之曰:「將軍之功獨有先破石門、尋峽,非有斬將搴旗之實也,烏足以驕人哉!前破番禺,捕降者以爲虜,掘死人以爲獲,是一過也;使建德、呂嘉得以東越爲援,是二過也;士卒暴露連歳,將軍不念其勤勞,而請乘傳行塞,因用歸家,懷銀、黄,垂三組,誇郷里,是三過也;失期内顧,以道惡爲解,是四過也;問君蜀刀價而陽不知,挾偽干君,是五過也。受詔不至蘭池,明日又不對。假令將軍之吏,問之不對,令之不從,其罪何如?推此心在外,江海之間可得信乎?今東越深入,將軍能率衆以掩過不?」僕惶恐對曰:「願盡死贖罪!」上乃遣橫海將軍韓説出句章,浮海從東方往;樓船將軍楊僕出武林,中尉王温舒出梅嶺,以越侯爲戈船、下瀨將軍,出若邪、白沙,以撃東越。 6. 7博望侯既以通西域尊貴,其吏士爭上書言外國奇怪利害求使。天子爲其絶遠,非人所樂旆,聽其言,予節,募吏民,毋問所從來,爲具備人衆遣之,以廣其道。來還,不能毋侵盜幣物及使失指,天子爲其習之,輒覆按致重罪,以激怒令贖,復求使,使端無窮,而輕犯法。其吏卒亦輒復盛推外國所有,言大者予節,言小者爲副,故妄言無行之徒皆爭效之。其使皆貧人子,私縣官繼物,欲賤市以私其利。外國亦厭漢使,人人有言輕重,度漢兵遠不能至,而禁其食物以苦漢使。漢使乏絶,積怨至相攻撃。而樓蘭、車師,小國當空道,攻漢使王恢等尤甚,而匈奴奇兵又時遮撃之。使者爭言西域皆有城邑,兵弱易撃。於是天子遣浮沮將軍公孫賀將萬五千騎,出九原二千餘里,至浮沮井而還;匈河將軍趙破奴將萬餘騎出令居數千里,至匈河水而還;以斥逐匈奴,不使遮漢使,皆不見匈奴一人。乃分武威、酒泉地置張掖、敦煌郡,徙民以實之。 7. 8是歳,齊相卜式爲御史大夫。式既在位,乃言:「郡、國多不便縣官作鹽鐵器,苦惡價貴,或強令民買之;而船有算,商者少,物貴。」上由是不悅卜式。 8. 9初,司馬相如病且死,有遺書,頌功德,言符瑞,勸上封泰山。上感其言,會得寶鼎,上乃與公卿諸生議封禪。封禪用希曠絶,莫知其儀,而諸方士又言:「封禪者合不死之名也,黄帝以上,封禪皆致怪物,與神通,秦皇帝不得上封。陛下必欲上,稍上即無風雨,遂上封矣。」上於是乃令諸儒采尚書、周官、王制之文,草封禪儀,數年不成。上以問左内史兒寬,寬曰:「封泰山,禪梁父,昭姓考瑞,帝王之盛節也;然享薦之義,不著於經。臣以爲封禪告成,合祛於天地神衹,唯聖主所由,制定其當,非羣臣之所能列。今將舉大事,優遊數年,使羣臣得人人自盡,終莫能成。唯天子建中和之極,兼總條貫,金聲而玉振之,以順成天慶,垂萬世之基。」上乃自製儀,頗采儒術以文之。上爲封禪祠器,以示羣儒,或曰「不與古同」,於是盡罷諸儒不用。上又以古者先振兵釋旅,然後封禪。 9. 元封元年(辛未,前一一〇) 1冬,十月,下詔曰:「南越、東甌,咸伏其辜;西蠻、北夷,頗未輯睦;朕將巡邊垂,躬秉武節,置十二部將軍,親帥師焉。」乃行,自雲陽北歴上郡、西河、五原,出長城,北登單于台,至朔方,臨北河,勒兵十八萬騎,旌旗徑千餘里,以見武節,威匈奴。遣使者郭吉告單于曰:「南越王頭已縣於漢北闕。今單于能戰,天子自將待邊;不能,即南面而臣於漢,何徒遠走亡匿於幕北寒苦無水草之地!毋爲也。」語卒而單于大怒,立斬主客見者,而留郭吉,遷之北海上。然匈奴亦讋,終不敢出。上乃還,祭黄帝塚橋山,釋兵須如。上曰:「吾聞黄帝不死,今有塚,何也?」公孫卿曰:「黄帝已仙上天,羣臣思慕,葬其衣冠。」上歎曰:「吾後升天,羣臣亦當葬吾衣冠於東陵乎?」乃還甘泉,類祠太一。 1. 2上以卜式不習文章,貶秩爲太子太傅,以兒寬代爲御史大夫。 2. 3漢兵入東越境,東越素發兵距險,使徇北將軍守武林。樓船將軍卒錢塘轅終古斬徇北將軍。故越衍侯呉陽以其邑七百人反攻越軍於漢陽。越建成侯敖與繇王居股殺餘善,以其衆降。上封終古爲御兒侯,陽爲卯石侯,居股爲東成侯,敖爲開陵侯;又封橫海將軍説爲按道侯,橫海校尉福爲繚嫈侯,東越降將多軍爲無錫侯。上以閩地險阻,數反覆,終爲後世患,乃詔諸將悉徙其民於江、淮之間,遂虚其地。 3. 4春,正月,上行幸緱氏,禮祭中岳太室,從官在山下聞若有言「萬歳」者三。詔祠官加增太室祠,禁無伐其草木,以山下戸三百爲之奉邑。 上遂東巡海上,行禮祠八神。齊人之上疏言神怪、奇方者以萬數,乃益發船,令言海中神山者數千人求蓬萊神人。公孫卿持節常先行,候名山,至東萊,言:「夜見大人,長數丈,就之則不見,其跡甚大,類禽獸雲。」羣臣有言:「見一老父牽狗,言『吾欲見巨公』,已忽不見。」上既見大跡,未信,及羣臣又言老父,則大以爲仙人也,宿留海上;與方士傳車及間使求神仙,人以千數。 夏,四月,還,至奉高,禮祠地主於梁父。乙卯,令侍中儒者皮弁、搢紳,射牛行事,封泰山下東方,如郊祠泰一之禮。封廣丈二尺,高九尺,其下則有玉牒書,書秘。禮畢,天子獨與侍中、奉車都尉霍子侯上泰山,亦有封,其事皆禁。明日,下陰道。丙辰,禪泰山下阯東北肅然山,如祭后土禮,天子皆親拜見,衣上黄,而盡用樂焉。江、淮間茅三脊爲神藉,五色土益雜封。其封禪祠,夜若有光,晝有白雲出封中。天子從禪還,坐明堂,羣臣更上壽頌功德。詔曰:「朕以眇身承至尊,兢兢焉惟德菲薄,不明於禮樂,故用事八神,遭天地況施,著見景象,屑然如有聞,震於怪物,欲止不敢,遂登封泰山,至於梁父,然後升壇肅然自新,嘉與士大夫更始,其以十月爲元封元年。行所巡至,博、奉高、蛇丘、歴城、梁父,民田租逋賦,皆貸除之,無出今年算。賜天下民爵一級。」又以五載一巡狩,用事泰山,令諸侯各治邸泰山下。 天子既已封泰山,無風雨,而方士更言蓬萊諸神若將可得,於是上欣然庶幾遇之,復東至海上望焉。上欲自浮海求蓬萊,羣臣諫,莫能止。東方朔曰:「夫仙者,得之自然,不必躁求。若其有道,不憂不得;若其無道,雖至蓬萊見仙人,亦無益也。臣願陛下第還宮靜處以須之,仙人將自至。」上乃止。會奉車霍子侯暴病,一日死。子侯,去病子也,上甚悼之;乃遂去,並海上,北至碣石,巡自遼西,歴北邊,至九原。五月,乃至甘泉。凡周行萬八千里云。 先是,桑弘羊爲治粟都尉,領大農,儘管天下鹽鐵。弘羊作平准之法,令遠方各以其物如異時商賈所轉販者爲賦而相灌輸。置平准於京師,都受天下委輸。大農諸官,盡籠天下之貨物,貴即賣之,賤則買之,欲使富商大賈無所牟大利,而萬物不得騰踴。至是,天子巡狩郡縣,所過賞賜,用帛百餘萬匹,錢金以巨萬計,皆取足大農。弘羊又請令吏得入粟補官及罪人贖罪。山東漕粟益歳六百萬石,一歳之中,太倉、甘泉倉滿,邊餘谷,諸物均輸,帛五百萬匹,民不益賦而天下用饒。於是弘羊賜爵左庶長,黄金再百斤焉。 是時小旱,上令官求雨。卜式言曰:「縣官當食租衣税而已,今弘羊令吏坐市列肆,販物求利。烹弘羊,天乃雨。」 4. 5秋,有星孛於東井,後十餘日,有星孛於三台。望氣王朔言:「候獨見填星出如瓜,食頃,復入。」有司皆曰:「陛下建漢家封禪,天其報德星云。」 5. 6齊懷王閎薨,無子,國除。 6.
https://w.atwiki.jp/dista/pages/2852.html
〒141-0032 東京都品川区大崎4-13-2 ☆TEL:03-5436-5601 ☆営業時間:9 30-25 00 ☆最寄駅:都営浅草線・戸越(5分)/東急池上線・戸越銀座(8分)/JR山手線&JR湘南新宿ライン&JR埼京線&りんかい線・大崎(12分) ☆戸越から:駅A2口を出て駅を背に左へ直進する(第二京浜道路。途中右手に戸越台中学校有り)。左に高速道路の出入り口見て2つ目の通り(大通り)を右折し、直後に左斜め先方へ入る道へ進む。1つ目の角を右折すると右手に店舗有り。5分程度 ☆戸越銀座から:駅を背に右へ進み、通りに出たら左折し直進する。大通り(第二京浜道路)に出たら左折し、1つ目の信号(手前左にサンクス有り)を右折し、直進する。第二京浜を渡って左斜め前方の通りに入り、1つ目の角を右折すると右手に店舗有り。8分程度 ☆大崎から:駅西口を出てファミリーマートの左の道を直進する。芳水小学校で左折し、小学校の周りを道なりに進む。その後、小学校を離れても道なりに直進(かなり進んで途中右手に越後屋酒店有り)し、信号で右斜め先方の道へ進むと左手に店舗有り。12分程度
https://w.atwiki.jp/kagenotou/pages/19.html
2010/6/19 E3開催と同時期にソフトを体験! あの名人も参加した『影の塔』の日本最速体験会 2010/6/18 『影の塔』巨大な“影の塊”が少年の影に襲いかかる 2010/5/26 『影の塔』日本最速体験会に6組12名様をご招待 2010/5/17 『影の塔』光源を利用した仕掛けの解きかたを紹介 2010/5/14 『影の塔』をより深く楽しめる“影のサイト”がオープン 2010/4/9 『影の塔』少年の運命を左右する3つの要素を紹介 2010/1/29 『影の塔』実態を持たない影の敵 2010/1/28 『影の塔』最新プロモーションムービーを公開 2009/11/16 『影の塔』影の中で少年は謎に挑む 2009/8/21 ハドソンの意欲作『影の塔』のプロモーションムービーが公開 2009/8/8 『影の塔』光と影の狭間で冒険が始まる
https://w.atwiki.jp/rozenindex/pages/693.html
「森部のじいさんの奥技がてめえをぶっつぶす!」 敵単体に格闘属性の40前後のダメージを与えつつ 攻防精敏全て半額!